デラさんって何者?!

デラ

ザコだって楽しく生きていいんだよ。

こんにちは。デラです。@tatsuya141free

ここでは自分のことを深掘りして紹介しましょう。少し文章が長くなったり、感情的な表現がある場合がありますが許してくださいね。

まずは今の現状について。

デラさんって何者?

平成4年生まれの26歳フリーター。今は彼女と半同棲して生活をしています。主にTwitterを通じて、「うつ病でも楽しく生きられるんだ」ということを伝えるためにゆるく活動中。

夢とか目標とかは特にありません。

毎日を楽しく過ごすことが目標であり、人生の最終的なゴールだと思ってます。そのゴールまで走る最中の出来事をこのブログやTwitterを通じて発信。過去に自分が味わった「うつ病で苦しむ人々」に何か感じてもらえたら嬉しいです。

彼女はライター兼イラストレーターとして活動をしてます。元々、彼女は接客販売の仕事をしていましたが「躁鬱病」を患っています。彼女の適正と将来的に結婚して子どもを産みたいということもあり、早めに在宅ワークの仕事に切り替えさせました。もうすぐ月10万円を稼げるようになるでしょう。

その間に自分がフリーターとしてお金を稼いで、隙間時間をブログやTwitterを通じて発信活動をしています。今ではありがたいことにフォロワーが1000を超えるまでに成長しました。

このブログにあるイラストのほとんどは彼女が描いた作品になります。可愛らしいゆるいデザインが特徴的です。

座右の銘は「生きてればなんとかなる」

デラ

ここからは過去の話だぞ!

努力方向が下手な中学生。

 

学校の成績はオール3。野球部でしたが、運動も勉強も飛び抜けた才能はなく、極度のボール音痴。外野フライが取れない外野手をやっていました。ストレートは打てるけど、変化球はバットに当たらない。

外野のレギュラー枠が1つ空いていたので、部活が終わってからの素振りは毎日欠かすことはありません。1kgのバット1時間。2時間。3時間と近くの公園でアホみたいに振っていました。

雨の日でも関係はありません。幸い自分の部屋はバットが触れるギリギリの広さでしたので、室内でも素振りは欠かしません。おかげで腕の筋肉がついて筋肉質な体格に見えます。

ですが、どれだけバットを振ってもスイングスピードは早くなっただけ。ストレートなら打つことができました。ですが変化球は打てない。カスリもしないのです。その練習は何もしてきませんでした。

「努力方向が偏っていたのです」

努力の量自体は部員の中でも多かったはずなのですが、結果として現れない。それは努力の方向性が少し偏っていたからだと今ならわかります。ですが、当時はそんなことわかりませんでした。

しかも、守備は壊滅的。こればっかりは1人で練習をすることはできません。そして、公式戦で守備にも打席に立つこともできず引退することになりました。

「努力は報われない」

「才能には勝てない」

当時のレギュラー陣はみんな身体能力が高い人が揃っていました。足が速い。肩が強い。変化球も打てる。自分と同じ中学から野球を始めたという同じ条件のはずなのに、大きな差をつけられることになりました。

悔しかった。とても悔しかった。

同じ人間。同じ期間の野球歴。なぜこんなに差がついてしまうものなのか。努力で差を埋めようとしても一向に縮まることはない。どれだけバット振っても打てるようにならない。チャンスすら与えられない。

「試合に出たい」

「輝きたい」

それが中学時代に心の底から思ったことです。

悔しさを昇華した高校生。

学校の成績は体育以外はオール2。赤点ギリギリ回避、部活に力を入れるという高校生でした。ですが、文化祭や体育祭にも積極的に参加。クラスで大いに楽しんでいました。

部活は硬式テニス部。小学生の頃に少しやっていた事と個人競技のため、どんなに下手でも試合に出ることができるという理由で入部。

ここでもいい感じに頑張り、副キャプテンに任命され試合にも出ることができました。団体戦のメンバーとして活躍し出場試合は全勝しました。最後の試合以外は。

中学とは違い個人として試合に出ることもでき、その上で感じる悔しい思いをしたもののどこか満足している自分がいました。やれることはやって残した結果。試合に出て自分の力は出した。

「燃え尽きたな…」

「この先は何をしよう…?」

部活を引退して数日。

急に現実を見ることになったのです。

今からどう頑張ってもプロ野球選手になれるわけではなく、プロのテニスプレーヤーになるのは厳しい道のりです。これ以上、部活を続ける理由や意味を見出せなくなっていました。

ということは、自分がこれから考えないといけないことは自分の将来について。会社員として働いていく自分を考える必要がある。

「とりあえず大学に行かないと」

「国公立の大学がいいらしいな」

「なら1番偏差値の低いとこで」

こうして北見工業大学という理系で自分が入学できる確率が最も高い大学を選びそこに受かるために勉強を始めました。学部選びも適当。受かればなんでもいい。そんな理由でした。

担任の先生。親。当たり前のように大学は進学するべきと断言をされ。周りの友達も受験勉強を嫌々する。その流れに自分も洗脳され、当たり前のように勉強をしていました。ですが、ここまで読んでいる方はピンと来ているかもしれません。

勉強の努力方向も偏っていました。問題集を暗記するまでやるなどの勉強方法を毎日9時間は勉強していました。勉強量と比例しない成績。偏差値はずっと35のまま。

センター前の模試。ここで今までの勉強が実を結び偏差値50に到達。志望校A判定。よし!このまま合格して

サボり気味な大学生。

朝は起きることができず、昼頃に起床。講義に今さら行っても間に合わないためダラダラとゲームをして夕方からバイト。

夜にはストレスを発散するように牛丼を食べてYouTubeを見ながらゲーム三昧。そして、深夜に眠るという生活を2回生が終わる頃までしていました。取得単位は半分以下。「留年」の2文字が現実味を帯びていた頃です。

就活生になるとやる気を出して「起業」を志しました。

「人生を変えるきっかけを作りたい」

大学を休学して上京。社員5人のベンチャー企業で

正社員経験は2回。いずれも大学を卒業する前になりました。ですが、うつ病を再発させてしまい諦めました。普通の生活を。

現在はテキトーに労働しながら、ブログを書いたりTwitterでご飯を奢ってもらっています。

付き合って1年の彼女がいます。今は半同棲生活をして暮らしています。

ちなみに彼女がイラストを描いて、自分が発信をしている。そんなブログだよ。

なんでフリーターなの?

消去法でフリーターになりました。週5で働く体力がもう自分にはないのです。

(最近では週2回の労働でも瀕死状態)

週2回の高時給バイトを探して労働して、週5で好きなことをして生活をしています。

この生活が今の自分ができる幸せな環境。

なんでうつ病になったの?

1回目はメンタルを消耗して働いていました。ある日突然そのダメージが一気に来て動けなくなりました。

2回目と3回目は週5で働くストレス耐性が備わっておらず再発。

具体的なことはこちらを参照ください。

合わせて読んでくれよな!

うつ病体験談エピソード1

このブログでなに書いてるの?

テーマは「うつ病でも楽しく生きる」という大雑把です。

経験や考え方など過去の自分が喜ぶような記事を作成していきます。